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同人ゲームプレイ記録 No.7 「狂痛忌」

 コミティア124で出会った作品たちのプレイ記録というか報告というか感想というかなんというかの「同人ゲームプレイ記録」は第7回へと参ります。

 各作品の記事においては基本的に作品内の画像やスクリーンショット等を出しませんが、文章にはいくらかのネタバレ要素を含む場合があります。ご注意ください。

 というわけで、今回の作品は、「狂痛忌 -all in all is all we are-」(F.T.W)です!

 本作はアプリ版が出ているそうですよ。

 

 

 


 

 

 

 

精神異常をそれとして描く

 プレイする以上は物語にある異常な存在や行動すらも理解しようと努めなければならない。これの「プレイする」を「読む」に替えれば小説に関する一言にもなります。この主張は「異常な存在や行動」を他の物事に替えて使われることもあり、僕にはこれを言われた経験も他人が言われている場面を見たこともあります。似たような主張に、物語を書く以上は物語に出す人物や物事を自分の理解のもとに置かなければならない、というものもありますね。

 さて、「これらは誰にとっても義務ではない」というのが僕の考えなのですが、完璧主義者(と呼んでもよいのかどうかはさておいて)の方々は義務だと主張するでしょう。そうなれば、互いの考えや主張は理解しあえないということになりますね。

 僕は登場人物への自己投影や共感をしなくなって久しいです。僕の思考や感情は僕のもので、誰かに重ねられるのは好きでも嫌いでもありませんが、誰かに重ねたいとは思わなくなりました。制作中の次作品(「世の守ねがいて」)では主人公への自己投影を越えておくべき壁と捉えて努めるつもりですが、他作品に対しては今後もしばらくはこのままのつもりです。

 物語によく登場するものの、多くの人が理解に苦しむような存在。ここで挙げるのは「殺人者」です。特に快楽殺人者。

 その是非は論じること自体が意味のないことで、殺人はすべて悪であるとする。これが一般論でしょう。本作では殺人者の言い分が示されました。これは稀少論でしょう。僕はこのことに関してまだ意見を持とうとは考えていませんが、もしも物語において読み手の理解を助ける策が過剰となって、これらの論の生が見えなくなるようなことが起こるのならば、それは避けるべきことだとは考えています。

 それをそれとして描く。僕は読み手の理解にあまり配慮してきませんでした。その根底には、読み手の理解に配慮する以前に僕が理解をしようとしてこなかったということがあります。以前に考察はするのもされるのも好きではないと言いましたが、それはこのことに深く関係しているのでしょう。

 

 

 


 

 

 

 

 僕は本作を長らく「きょうつうき」と読んでいましたが、初めて起動した時に「くるいたいむ」とかわいらしいボイスで直されました。三文字すべて送り仮名まで含めたタイトルを味気なく「きょうつうき」だなんて読んでしまう感性の貧しさを思い知りました……

 ラストはあれより先のことを考えてしまうと間が延びてしまうばかりになるでしょうから、ひとつの物語としては理に適ったものだと思います。そういうことをまるで考えないで言えば、その後の四人の関係や、ただひとりほとんどなにも知らないままのあの子が真実を知った時にどうなるかなどは気になりますね。

 以上、「狂痛忌 -all in all is all we are-」のプレイ記録でした。

 次回は「セカイの果ての均衡者 第1~6章」(LEVEL PLUS)のプレイ記録をお届けします。六章ぶんともなると間隔が……

 ではまた!

  2018/08/30