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同人ゲームプレイ記録 No.8 「セカイの果ての均衡者」

 コミティア124で出会った作品たちのプレイ記録というか報告というか感想というかなんというかの「同人ゲームプレイ記録」は第8回へと参ります。

 各作品の記事においては基本的に作品内の画像やスクリーンショット等を出しませんが、文章にはいくらかのネタバレ要素を含む場合があります。ご注意ください。

 というわけで、今回の作品は、「セカイの果ての均衡者 第1~6章」「セカイの果ての均衡者 第七章」(LEVEL PLUS)です!

 ちなみに僕が初めて買った4色ボールペンはZEBRAの「スラリ」でした。「サラサ」だったらよかった……んでしょうかね。

 

 

 


 

 

 

 

どこかで「話術サイド」と呼ばれていたような

 バトルのある物語では説教をする場面というのがよくあるように思われます。相棒が精神的に弱り、危機や困難に立ち向かえなくなった時に説教でもって立ち直らせ、励まし、鼓舞する。相手の非道に対し、憤り、正しさを力強く説く。なんらかの強さを有する者にしか真には行えないものでしょう。

 そして、これらの説教に対する批判の中に、「トラウマを抱えた人間に説教をすれば精神が砕けるだけだ」というものがあります。

 この批判には正当性があり、こう言われてしまえば手を引くべきではあります。人間には心があり、心は尊く、損なわれてはならず、損なわれるような可能性は排除するべきなのですから。

 それでもなお抗おうとするならば、もはや不確定性にすがりつくしかありません。「その相手のトラウマは打ち砕くことができるかもしれない。なぜなら人間の心は決してすべて同じにはできていないし、同じにはならないのだから」と主張する。トラウマという外来語に対して、語源や本来の意味を知らない多くの日本人が掴んでいる意味の曖昧さに助けられておく。それを抵抗だったのだと思い込む。ただし、たとえそうは見えないとしても、謙虚である必要はあります。踏み出せば助けはどれも無力になってしまいますから。

 

 

バトルは速度を追求しなければ

 以前から自分のゲーム作品の画面が動きに乏しいのはよくないことなんだろうなと思わされていますが、本作でもそれは強く感じました。

 バトルは常に速さと緊張感を求められるものでしょう。にもかかわらず、それを文字で描写しなければならない。ところが、擬音語を多用すれば幼稚扱いをされる。ならば、なにに頼ればいいのでしょうか。その答えが、本作ではなかなか効果的に用いられていました。それは、「画面効果」と「理解する必要を感じさせない文章」です。

 画面効果のうち、軌跡の映像表示は銃撃・射撃・斬撃などを素早くかつわかりやすく示してくれます。効果音を合わせれば緊張感も高まります。飛ばそうとすればそれらが連続してやって来るわけですから、ただ飛ばすだけにさせず、より強い印象を与えてくれます

 そして、飛ばそうとすればより強い印象を与えるという特性を活かせるようになるのが、「理解する必要を感じさせない文章」です。意味がよく通ったり大きな意味があったりする文章ではないほうが、バトル描写においてはスピードを損なわないために価値があると僕は考えています。素早く展開しては移行する状況と流れのみを追ってもよいのだとプレイヤーに思わせる文章を書くためには、完璧主義を捨てる必要はあるんでしょうね。

 

 

絶望すればすぐに死にたがる

 絶望ほど物語の状況を落とすものとして用いられる感情はないんじゃないでしょうか。可能性が消失した、あるいはそう思われた時に起こる感情を極めれば、行き着くのは絶望と決まっているかのように。

 僕の考えですが、物語は様々な要素をどうしても極みまでもっていきたくなるように誘っているような気がします。「半端」は嫌われ、「半端ない」は讃えられる。讃えるために「半端」さえも「半端ない」になるような尺度を持ち込む人を見かけたことがあります。そして、極みまでもってゆこうと思ってからでもどこかでしっかり止まることのできる人というのは、極めて稀です

 これによってひとつの定まった流れが生まれます。「絶望する」→「死にたいと思う(終わりの極みとして)」→「誰かが懸命に引き留める」。最後だけは「誰かが共に死んでくれる」などの派生がありますが、多数になるのはこれだろうと僕は思っています。結末は「それでも死ぬ」なのか、それとも「抗う」なのか。どちらもどちらかの極みへと赴くものです。

 これに関して言いたいのはただひとつ。「二度から先は麻薬」ということです。ここから先は読んでくださっているあなた自身で考えてみてください。

 

 

 


 

 

 

 

 なんともひどい初登場のサラサでしたが、すぐにもっとひどいことをする主人公。ラノベ型の主人公や序盤展開はそもそも好きではないので、慣れるまでにかなりの苦労がありました。セクハラはお縄だぞぉ!

 それでも、慣れてしまえればそこにはちゃんと物語が待ってくれていました。だからこそ、僕は後悔しています。「完結してから一気に見たかった」と。せっかくのスピードを何度か断たなければならないことがとてもしんどいんですよ。章に分けて出されるノベルゲームだと、こういうことはよくあるんでしょうか。体験版さえも「物語を途中で切るから」という理由で出したくないなと思っている僕は、きっとこれからもしばらくは物語をひとつ完結させるまでは出さないとは思います。

 以上、「セカイの果ての均衡者 第1~6章」「セカイの果ての均衡者 第七章」のプレイ記録でした。

 次回は「キョンシー×タオシー」(電動伝奇堂)のプレイ記録をお届けします。

 ではまた!

  2018/09/15